日本の古代文字論

1) 日本の古代文字への対応

 日本には大陸から漢字が伝えられたよりもっと以前から固有の文字があったと主張する人々がある.之等の人々によって古来から神代文字と称される多種類の古代文字が提出されて来た.しかし之等が実在した事を証明する証拠は、彼等が祖先伝来と主張する神代文字で記載された容易に偽作可能な、紙面や石面に彫り込まれた少数の刻文だけであって、日本中何処でも大量に出土する縄文土器面や弥生式土器面で神代文字が発見された事は無い. 之等の記号文字は何れも已に知られている古代世界の各種の古代文字に類似する幼稚な組み合わせが多く、表示内容も天孫系の個人名や太古を語る不可解な歴史を記載するに過ぎない.従って彼等の主張は常識のある人々から常に無視され続けて来たにも拘わらず、狂信的に支持する少数の人々によって、已に相当長い年月恐らく数百年間にわたってくりかえし喧伝され、無知な人々の好奇心を刺激して現在迄生き残っている.此の事実から日本の神代文字はそれ自体の真偽に関係なく、長期間信用し続けた一部の人々の対応に若干の歴史的価値を見出す事ができる.
 神代文字の開発は何等かの外来文化の急激な浸透によって神道派の勢力が著しく衰退した時期に古来の神道文化の消滅を恐れた熱心な狂信的神道信者によって行われたらしく、最も古いものは南北朝時代に優勢な仏教に対抗して制作された様に思はれる.しかし大部分の神代文字は江戸時代末期から明治時代の国家混乱期に創作されたらしい.
 

2) 手宮の古代文字

 前述した確実な存在証拠の無い大部分の神代文字と異なって、確かに太古からの存在が保証されている少数の古代文字らしきものが知られている.その代表的なのは北海道小樽の手宮海岸洞窟の文字様彫刻物である.之は明治11年榎本武揚によって見写され東京帝国大学に送られた事によって一般の注目を集めた.之等の刻文を単なる絵画と見なす学者もあったが、当時の広島高師の教授で後に大阪外語学校の校長となった中目覚は古代トルコ文字と断定し「我は部下を率い、大海を渡り……戦い……此の洞窟に入りたり」と解読した.彼は解読手順を次ぎの様に解説している.



と詳細に解説し、更に磨滅した文字部分を推定し、全体として、「我は部下を率い、大海を渡り、戦い、此の洞窟に入りたり」と解読した。古代トルコ語について無知な我々としては成る程と納得する部分のある労作で、その為に傾けられた彼の努力には感服する。しかしそれでも尚、その解読自体の正当性については、未だ全面的に信用し納得する事は出来ない。
 昭和20年頃、朝枝文裕によって新たに再び之等の手宮古代文字を支那古代文字と見なし、全く別種の見地から、異なった方法で解読された。その解読法は次の様に説明されている。

 之等を続けて次の様に読ませている。
  船を並べて来り、末遂にこの地に至り本営を置く。
  帝、此の下に入る、変あり、血祭りす。
朝枝による解説文は中目による解説文と文章の内容に著しく類似した部分があ って、後から解説に取組んだ朝枝に中目の解説文が潜在意識として働いていたのではないかと疑はれる。しかし私が彼の存命中に直接に会って聞えた話によると、彼がこの文字の解読に着手した時には中目の解読文について知らなかったそうである。しかし彼は当時此の解読に熱中し、暇さえあれば文字を刻した壁の場所に行き、文字の上を指でなぞって塾考を重ねたそうで、彼が至極真面目で熱心な人である事を知った。しかし全く異なった方法による解読から同様の文章画得られた偶然は、之等の解読文が不当な解析法によって行はれた事を示している様に思はれる。之等の解読文は何れも此処の入居者によって洞窟の壁に書かれる可能性が多いと推定される内容であるから、彼等が二人共自身が当時の洞窟入居者となった場合に発想する文章の潜在意識に従って、都合の良い様に無理に解読作業を進めた疑いがある。従って更に何処かで同様の古代文字が発見され、それに彼等の手法を適用して、どちらかがうまく解読出来た場合に始めて、それらの一方の正当性を証明する事が期待出来るに過ぎない。
 

3)フゴッペ丸山洞窟の彫刻

  昭和25年になって余市町の手宮文字発見の場所と程遠からぬ所に、新に約200の文字らしい彫刻が雑然と刻されている洞窟が発見された。朝枝文裕も早速調査に掛かったが、今度は之等の彫刻文を支那古代文字とする事が出来ず、アイヌ族の宗教的信仰の記号であるイカシシロシと見なしている。この彫刻については現在に至る迄、誰も意味のある文章として解読する事が出来ず、古代文字としては否定されてたが、平成6年頃高橋良典はこれをアイヌ文字の合成されたものと考えて「川が寒い時期に捕れる魚で沸いている」と解読している。
 

フゴッペ洞窟・岸壁彫刻

4) 井波八幡宮社宝

  富山県井波町の八幡宮に社宝として神代文字と主張された刻文のある御物石器と石鏡と呼ばれる石製品が保存されている。
 
 

 a)  石鏡

 此の石鏡と同種の刻文を持つ石鏡が小矢部市島乗永寺に秘蔵されている。更に落合直澄は同種の文字が明治9年大阪の博覧会出品中の石器にあると報告している。之等の彫刻文字は大陸伝来思想の12支に相当し次ぎの様に解読されていて、日本の神道とは不調和な作品である。
 
 

  b)  御物石器

 この石器に刻された6文字も落合直澄によって恐らくアヒルクサモジを援用してエアケマフスと解読された。これと同種・同文を刻した短径6cm永経14cmの卵形石が山形県東田川郡本郷村で昭和18年に発見されたとされている。
 御物石器は長さ1尺4寸5分、周囲9寸2分、重量100匁余と記録されている相当大きな物である。縄文晩期に属する石器と思はれ、同時期の異種の石器であるもう1本の優美な石棒や石冠や前記の石鏡と共に社宝として秘蔵されている。
石器に刻まれた文字は

で石器の片面にエアケ裏面にマフスと右から左に向かって陰刻されている。之等の社宝とされる1群の石器は天正年間(織田信長の全盛期)に大雨が降り処々に土砂崩壊があったが、此の時井波町の八乙女山(752m)山頂にある鶏塚の一部が崩れた為に発見され、山麓の八幡社が保管する様になったと神社側は主張しているが、これにも疑問点が多い。井波町前面に拡がるポンポン野方面は大規模な縄文中期・後期・晩期の遺跡地であるから土木工事や開墾の際に偶然発見された珍奇な石器類が神聖視されて神社に奉納されたものと考えた方が余程合理的である。当時国文学者として高名であった落合直澄は御物石器の此の刻文を解読して、エとは武器の事であるから「武器を上げ申す」と刻して武運を祈願したと主張したが、これは石器に刻み込んだ作者の意図にも反する独断である。同一文字が刻まれた山形県出土の卵形の石器ではもっと武器らしい所が無い。
 古代に疫病の事を度岐之介、衣夜美或は単に疫と称している。従って疫病を患う事を疫を病むと云ひ、之を名詞にしてエヤミとなった。ヤミは闇或は夜見で暗くなった状態を表すものであり,エヤミは疫病に感染して肉体の生命力が暗く衰えた状況を意味する。これと反対にアケは闇が去って明るくなった状態を示す言葉である。従ってエアケは疫病が全快して健康になる事である。疫はどの病気にでも使用される言葉ではなく流行性の伝染病に限って用いられたので、正確に云へばエヤミは伝染病が蔓延した状態、エアケは伝染病が終息して人々が健康になり精神的にも明るさを取り戻した状態である。
 古来日本では悪神の事を麻我神・麻我毛能 ・枉物・禍物と称え或はマとも云っていたので魔は立派に古代日本語である。フスは心気衰えて病床に就く事であって、只、横になったり寝たりするだけではない。「伏す」はコヤスとも読まれ、古事記に神武天皇が熊野村に到着された時、悪神の祟りを受けて天皇以下尽く病気になった事件について、「御軍皆おえて伏しき」と記されている。即ちマフスは「流行性感冒の流行が終わる様にお願いします」の意味である。恐らく当社の神主が一郷の人々の安全を祈願して極秘裏に秘蔵の石器に彫刻して祭事を取り行ったものと思はれる。エアケとマフスが石器の表と裏に分離して刻されているのも、これが全く反対の意味を示す内容の文である事を窺はせる。
 

エアケマフスと刻された球状石器

 日本の古代文字は、
1)神代文字・・天津神第1代から第7代までの間に作られた文字(32種)
2)太古文字・・人祖第1代天皇から同22代天皇までの間に作られた文字(16種)に大別されているが、何れも之等の実在を主張するには神道の信者や神道を職業とする神主達に限定されている。従って古代文字実在の物的証拠とされる品々も、神社に伝承されたり秘蔵されたりしていたと主張される物件に過ぎず、正当な考古学的証拠品と見なす事は出来ない。然し此の神道派の欺瞞的主張は非常に古く、恐らく南北朝頃から開始されたらしいので、偽造された工作物が神社の改廃と共に地中に埋没し、その後偶然発見され之等が正当な古代文字である事を証明するとして宣伝されている遺物も少なからず存在するが、之等もその起源を詳細に調査すれば何れも過去の偽作物に過ぎない事が明白な品々である。
 個々の古代文字には夫々重々しく固有名が付されているが、内容的には幼稚なものが多く、書体から見て朝鮮文字、漢字、印度文字等を参考にして制作されたものと推定される。考案された文字の効用はそれ迄に開発された当時の人智の成果を記録して後世に伝え、更に文化を発展進歩させる為に利用されるものであるが、日本の之等の伝承的古代文字は日本の古代文明を発展させる為に利用された例は皆無で、只書体の宣伝だけに終止している。しかもその主張は容易に偽作可能な紙面上の記載を証拠とするに過ぎない。しかも之等の多数の神代文字は熱狂的な神道信者達によって,今までに多くの大衆雑誌等によって詳細に紹介されているから、此処に改めて個々の偽作文字群を展示する迄もない事であろう。