2: 相阿彌流盆石宗匠遺語録

 寺崎翁語りて曰く
 此の道に初伝と申すは、その実、極めて初学なれば、盆山石等を打ち、同門先輩の盆飾りに伍して飾り展示すれど、参観の人々観賞し、此の波打ち方は良しとか、此に景珍らし等と合語りて評するは、中伝以上の盆に限り、初伝にては偶々知人の打ちたる盆に会う共、この人も門に入りたるかと心に止むるに過ぎざる也。
 吾、寺崎翁に問う
 翁、相阿彌之盆石を学びし砌、先ず初めに習いしは何哉。
 寺崎翁答えて曰く
 先ず波打ち方を学べり。夜毎に宗匠を訪ね、羽根の扱いを工夫して波を描きたるも仲々に心にかなひたる波を打ち不得、先輩等と列座して練習する折も多ければ人々の打ち方を見て得る処も少なからず。只一人の時は黙々と波を打ち工夫を重ねて練習せり。宗匠頃合いを見て来室し、此処悪し技未だし等評し稀に手本の波を描けり。七日十日と続けたる頃ようやく心に叶ひたる波を打ち得たれば、宗匠を呼びて誇示せるに、辛うじて良しとて先に進むを被許。引き続き大浪、寄せ浪を習うを被許たり。次いで流れを打ち月を描けり、彼是習ひて後初めて宗匠の指示せる盆石図景に従ひて流れある景を打てり。霧、霞は特に習はず。師匠及び先輩の打つを見れば足れり。滝・渦を描くは 中伝以後なれば初心者
は鳴門の景等打つを不被許。
 寺崎翁曰く
 吾、始めて盆石を習いたる砌、羽根、打道具、砂、石等何一つ持たざれば、すべて宗匠の物を借りて行へり。其後追々揃えたれど盆石の最も大切なるは石なれば、更に良き主石、珍しき小石を求めて自ら探し回りし事共、極めて楽敷思出也。
 亦、曰く
 凡そ盆石は良き主石さえあらば他は如何様成共頗る立派に見ゆる物也。されば良き主石を探す事、砂打方を学ぶに不劣肝要也。
 翁、白色鳩卵大に而、方角なる玉髄石を指して語る
 吾、小矢部の河原に此石を拾いし時、堂楼の壁に良しとて喜悦甚大なりき、其後数十年を経たるも此石に勝る石を拾い不得、屋根に用ふべき三角成石、家壁に適せる賽子様黒石等精々探す共仲々に見当て不得者也、されば他人の盆石飾りを見る時、小さき橋、橋桁と云え共疎かに不可為、夫等の石々総て苦心拾得されたる物成を思えば自ずから興味深々たるべし
 翁、嘆じて曰く
 第五世相阿彌、吾にとりて余りに早く世を去り給ひし也。已に皆伝を得たりと云え共尚習い残りし事柄数々在り、口惜しき次第也。
 後日、此事を聞きて掛作翁指を繰り算して曰く
 第五世相阿彌病没せしは翁の四十余才の頃に相当せり、翁の慨嘆は真に宜成哉。
 吾、寺崎翁に問う
 盆に石を建てたる後、景を打つは、打道具扱い難く景描き難し、されば石の位置を心に定め夫れに従ひて景を打ち、後に石を置くが良からず哉。
 寺崎翁答えて曰く
 石を先に置き或ひは景を先に描くは時に応じて様々也、流れ・滝は後より石を配すれど、海・雲・霞等は配石後に打つ事多し。抑々盆石は石を建てゝ後に景を打つが正道なれば夫々打道具に工夫を凝らし打ち難き事少なき様考案被為有也、例之、霞を打つにも定規に大小長短様々あり、或ひは一端を鋭角に作りたる物も有りて、主石の背面、配石の間も容易に打ち得る也。
 吾、寺崎翁に問う
 名所の景は葛盆に決して打つ不可と秘伝書に明記有り。然るに古来より二見浦等名所の景、葛盆に打ち在るは如何。
 寺崎翁曰く
 日本百景等盆石図式に記され在る名所は当然葛盆に打ちて可也、伝書に云う名所とは夫れ以外の名所にて、例之、宮島の滝、倶利加羅古戦場等新に工夫して打つべき景を云う也、盆石飾に写さんと欲する程の景は夫々土地之名所なれば、之等は角盆等に打つ可也。
 葛盆に名所之景打つ事の可否に就き、寺崎翁の教唆を示し、重ねて掛作翁に問う
 掛作翁曰く
 如何なる名所之景たり共、葛盆に打ち或ひは角盆、長板盆に打つ事自在成可也。秘伝は奥義を極めたる後の約束にて秘して伝えざるものなれば、初心者は勿論、中伝、奥伝に至る共介意為不可、名所とは世に知られたる美景にて、他は良き景、珍しき景と平易に解す可し。翁の云う所も秘伝書に虜はれざる見識にて吾が述べし意に反せず。されど翁の工夫せる約束事も初学者には修行の妨げとも成得れば、之亦介得不可為処也、凡そ初学者にして奥義の形骸を窺い其意を不知して形を真似るは害ありて益無し、此事に不限秘伝書の記載如何様也共、修行途上の輩は毛頭論議不可為者也。
 吾、寺崎翁に問う
 相阿彌流盆中に樹を不建、家・橋・船等の造形物を不置、皆自然石を以て之を現す、是相阿彌流の他流と異なる所以也哉。
 答えて曰く
 大略相当れり、吾流にては小石を並べて樹木と約束し、家も船も自然石を以て形取るを良と為す、されど盆庭には草花を植え盆池には水を濯ぐ、盆石にも稀に焼物之塔、船を置く事有りて、石砂の他は全く不用と為す者には不在、されど石は自然石を用ひ決して加工変形する事無し、以之吾流の特質と為す也。
 翁、重ねて曰く
 波羽根は数々作りたれど調子良き羽根は稀也、常に最も手に合ひたる羽根計り愛用し他は不用、手馴れざる羽根を用ひて心に適う波・流れ等打つは至難也、羽根は主軸真っ直ぐ成を選ぶ可し、左右同形成を要すれば也。
 掛作翁曰く
 波羽根は大にして腰強きが良し、故に鷲の主翼を最良とす。毛抜きを用い細枝を一本宛むしり取るべし、細心を以て二三本宛、時に四五本宛取り、工夫して不規則なる辺縁を形作る也。
 寺崎翁曰く
 斯道深く極めたる人の打ちたる盆石飾りは一見凡々たる景に見ゆる事多し、されどさりげなき態に難しき砂打つ等、必ず要所要所に絶妙なる工夫有りて初学者の盆飾りとは頗る異なれば、夫等の妙所見極めて良く良く観賞すべき也。嘗て第五世相阿彌、盆石を打ち吾に示して曰く、此の盆石の良き所、逐一分明なる人は既に盆石の道に通じたりと云ひ得べし、自ら多数の盆を打ち、此処彼処工夫を重ねたる人ならでは特に打ち難き箇所を解し得ざる理也、されば己の苦心する処を斯く無造作に打ち為したる見事さに驚く程なれば既に執心の人と云ひ得べく、是、初学者の未だ及ばざる境地也。
 寺崎翁教えて曰く
 盆石の砂打ち方に付、基本たるべき事共一応学びたる後は先人の図式に従ひ各種の景色数多く打つ事極めて肝要也、この他に上達の秘訣を不知、但し図式は大略を表示するに過ぎざれば細かき所は自然に就き自ら学び取るべし、総て盆石は自然に反する景を嫌うなれば日月花雪はもとより、雲霞一つ描くにも自然の理に背かざらんと細かに気を配るべし、例之、盆の左右に同種の雲在りて互いに中央に吹き流れる如く描かれたるは、やがて衝突して雷電を生ずるを思はしむる故不可也、季節により変異し朝夕に相違ふ雲の様子をば逐一知り、時々に応じて盆石飾りに写したるを上手と云う也。
 橋本翁曰く
 相阿彌第三世上田桂洲と申す人は明治十八九年頃病没せり、大正時代は第五世掛作逸洲により継続されたるも昭和に至り中絶せり、今幸ひ相阿彌流盆石復活の徴を聞く、之頗る悦ばしき事也。
 問うて曰く
 我等掛作逸洲を第四世宗匠と聞くは如何。
 答えて曰く
 逸洲は北越四世にして相阿彌石岡正朔より数ふれば第五世也、於京師相阿彌に習いたる高弟中、後に辺地に下る者有りて各々地方の元祖を名乗りたるものならん。
 橋本翁極細き線香にて羽根を焼き、波羽根を作る技を自演し教えて曰く
 之、口伝にて奥伝を授く共未だ教えざる術也、口伝とは極秘伝を越ゆる秘事にて秘伝書たり共盗見さるゝを慮りて一切書記せず、以之口伝と為す、渦打方、夕立打方、夕立雲打方皆口伝なれば秘伝書にも明記無し、口伝教授の際は別室にて先ず其の景を打ちたる盆を見せ、之、如何にすれば打ち得るかを問ひて暫時熟慮せしめ然る後伝授せり、大概の秘伝は一度聞知せば練習せず共容易に行ひ得る故、創始者の苦心を解せざる後輩の軽々しく思うを戒めて斯くは重々しく為すなるべし。
 橋本翁曰く
 吾、若年の頃、盆石を楽しむ人々数多在れど各々珍奇成石の数々、高価成盆、打道具類相調へ、悠々たる閑日月有りて之を為すを観る、斯道羨望すと云共、今直ちに万金を擲ちて買揃う力無く余暇亦僅少にして吾等輩には高嶺の花たりて、とてもとても修め得る芸とは思はざりき、然るに斯道縁有りて入門したるも当初諸材料打道具等何一つ私物無之為、古道具の出物有りと聞けば之を買い求め或は羽根一二本宛買増して不足を補い、何時と無く逐次整備するを得たり、余暇を惜しみて練習し不知不識稍々深く進むを得たれ共、金波打方の如き特殊成材料を要する盆山石を打つ迄には不到、現今とても夫等の材料は尋常一様にて入手し得とは思えざれば、伝書に詳細記載在共之等秘伝書の盆飾は依然吾人の不得打所之者也。
 橋本翁教えて曰く
 霞を打つは五本迄と可心得也、通常は先ず三本を引き或は之と少々間を取りて二本を引く、即五本也、三本引きたる霞の内、二本或は隔たりたる二本を相対して霞める如く引きて宜識事多けれど何れも定め有るには不在、心の儘に引きて可也。
 平野良作先生曰く
 世上盆石の盆をかつら盆と称するは正しからず、桂は樹木也、かずらとは灌木の蔓を総称す、故にかずら盆と云うが正し、頭に飾る鬘もカツラと俗称するは誤りにて、カズラと称すべき也。
 高橋源治老人は常々国中を巡り各地の風習に詳しき家庭薬配置業者也、石動町福町新地の花柳街に永住し、枕草紙類を蒐集し、当地の故事にも通じたる奇人也、語りて曰く
 明治から大正の末頃迄、近郷良家の子女、茶花に併せ相阿彌流盆石を習うを常とせり、婚姻の折、式儀相進み而終宴之頃を見計らい、新婦別室に退き目出度き盆石の景打て一般に披露す、来客賞賛し必ず今一面之盆石を要望するを礼と為す、新婦新に客前に而簡単成盆石飾りを打つ、客賞之して後終宴す、此の風習在るを以て、新婦は婚儀に先立而必ず二面の盆石打方習熟之要在也、富家の妾、高位の芸妓に有りても盆石に習熟せし者多し、名士会合之席上屡々伴に盆石を打ちて興を添う。

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