5: 先行される戦略・謀略攻防戦
高志路の長梅雨に煙る岩峅の阿彦王城には、大若子命の大軍が岩瀬浜に上陸したと聞き伝えて、彼の武將達が続々と集まって来た。そうして今、城の奥まった一室に、副将として帰化人の鄭鶴及び徐章、軍師には鬚荊坊と石走天狗、更に勇将として知られた強狗良が、阿彦の姉、支那夜叉、その息子支那太郎と共に阿彦を取り囲んで居た。重臣大谷狗の顔が見られないのは、呉西一帯の豪族達に睨みをきかす為に、彼の居城たる枯山城を留守にするわけには行かなかったからである。阿彦は秋冬の半年を費やして、出来る限り国力を増強し軍備も整えたので、外来の遠征軍については充分に対抗し得る自信があったが、去年の合戦以来中立を誓った美麻奈彦や、鳴りをひそめて居る甲良彦の動静こそが最も心配される点であった。美麻奈彦については已に経済提携が締結されて居て対策も立て易いが、之までの色々な説得にも応ぜず頑強に反抗姿勢を崩さない強敵甲良彦への有効な対策こそ、阿彦が重臣達の助言を必要とする要点である。
阿彦は大若子命来援の情報を早くから探知して、専ら国力の増強に努力して居り、岩瀬浜上陸後の敵方の動静も詳しく偵察させていたので、味方の強大な軍事力や整備充実された防戦態勢から見て、新に来襲した当面の敵には大して脅威を感じない、むしろ中立を誓った美麻奈彦や、鳴りをひそめて居る甲良彦の動静こそが重要だったのである。中立を維持させる為に美麻奈彦に加えた主として経済的な硬軟両様の圧力は、彼の辰城が阿彦の岩峅城と至近距離にある為に、極めて有効に作用した様に思われた。実際美麻奈彦は今回の枯山城攻撃の際にも、皇軍方の優勢が判明する迄、中立姿勢を守って動かなかった。尤も、仮令、阿彦の働き掛けを受けなかったとしても、慎重な美麻奈彦の戦略として、大若子命の勝利が確実に予見される迄は中立を続けただろう。一方誇り高い甲良彦と交渉して彼を自己の陣営に引き入れるには、彼の居城が天孫族の根拠地海岸地域に近い事もあって、尋常の手段では成功しそうに無かった。
甲良彦を説得する使者には阿彦方の余程の重臣で無くてはならない。しかも交渉の当事者には高い学識や外交手腕が必要であり、人質とされる可能性もあり命を奪われる危険も多い。一身を棄てる覚悟があったにしても、之等の前提条件を同時に満足出来る人物としては、誰からも敬愛されて居る女性の支那夜叉が最適で、彼女以外に見当たらない。此の危険な大役を実姉に指示するのは情に於いて忍び難い所であるが、切迫した国の存亡には換えられない。鄭鶴・徐章等も同意見であった。居並ぶ学識に勝れた者達には外交的な応対や手腕が欠けて居て、残念乍ら使者の大役を担うには不適当だったのである。支那夜叉は甲良彦の対応次第では、己の落命は勿論、妾婢に落とされるのも覚悟の上で、慎んで此の任務を承諾した。甲良彦に最高の敬意を表する為と支那夜叉の身の安全を計って、出来る限り貴重な引き出物が数多く用意された。付き添いの補佐役として豪將強狗良が同行して、支那夜叉の一行に加わった。美しく着飾った支那夜叉が持参の品々を運ぶ人足達の行列と共に進む様子は、軍の特使と云うより婚縁の列の様であった。
先頭を進む強狗良と支那夜叉の後に、一群の荷物を担った人々が続いたが、之等の荷は甲良彦への手土産物として持参する貴重な或は珍奇な品々である。大陸文化を誇る精細で綺麗な布地、帰化人達によって制作された陶磁器、貴重な水銀化合物の朱顔料、山地特産物としてカモ鹿や熊の革製品、干肉製品、瓢箪等の容器に充満された山葡萄酒、その他有効な医薬品、香料等である。夫等の大部分は甲良彦方の部将や婦人達に寄贈する為に用意された品々であった。そうして之等の品々によって阿彦国の文化が天孫族の文化より勝れている事を誇示する効果も期待出来る。斯かる阿彦の巧妙な懐柔策によって甲良彦の周辺の婦人や兵士達の阿彦に対する反感や恐怖心が和らげられたのは当然であった。一方、甲良彦は頑固で真面目な性格から、貴重品や珍品によって心を動かされる事は無かったが、支那夜叉の艶やかな容姿に接し、一目で心を奪われてしまった。彼の謹厳で変化の少ない生活から、女性に対しては特に弱かったのであろう。甲良彦は夜叉の一行を城門に出迎え、鄭重に予定された広間まで案内した。夜叉が陳述する使者の趣きや交渉の内容も最早や耳に入らず、彼女の関心を得る事にのみ夢中であった。大切な外交交渉は棚上げされたまゝ、盛大な酒宴が催され、同時に賓客の為に立派な舎屋が大急ぎで新築され、支那夜叉一行に提供された。甲良彦の本心としては支那夜叉を愛妾としてこのまヽ城内に留めたかったのであるが、東条比古を父とし阿彦の姉に当る高貴な素性の貴婦人で、軍使の大役を担う当事者に、直ちにその様な恥知らずな提案をする勇気が無く、交渉を遅らせて出来るだけ永く滞在させる為の苦肉の手段だった。
支那夜叉の立場は全く逆で、初めから一身を捨てる覚悟で乗り込んで来たのだから、阿彦国との和平成立の為の交渉がすべてに優先する。今幸い甲良彦が自分に下心がありそうなので、適当に彼に関心ある姿勢を示しながら阿彦との交渉進展を促した。甲良彦は只今重臣達が審議中だと苦しい口実の下に引き延ばしながら、日夜最大限の歓待を重ね、気を虚ろにして支那夜叉の近辺に入り浸って居た。
甲良彦が支那夜叉の色香に迷って阿彦陣営に加わりそうだとの知らせは、大若子命の陣営を甚だしく動揺させた。味方の最強軍団甲良彦軍を敵に取られては、他の郷將達に与える影響も大きく、遠征軍の勝利が危ぶまれる。此処は何としても彼の離脱を食い止めねばならないが、地位や財宝の好餌に乗る様な甲良彦で無い事は衆知であったから、離反の原因となった支那夜叉に焦点を絞って、彼女を甲良彦から遠ざける方策が議論された。刺客を送って彼女を暗殺する手段は、厳重に警戒されている甲良彦の居城でそれを実行するのは殆ど不可能であり、例え成功したとしても、甲良彦を怒らせ返って彼を阿彦方に追い出す結果になるから採用出来ない。男女間の微妙な関係を調整するには性神として定評のある佐留太舅が適任であり、彼以外にそんな能力のある者は見当らない。
そこで大若子命やその部将や郷將達が、こぞって佐留太舅に支那夜叉の引き離し役を三拝九拝して懇願し、又、破格の成功報酬として郷將の地位と領土を約束した。
佐留太舅は佐留太彦命の胤と称し、佐留太彦命と同様な役割を演ずるが、佐留太彦命は天下つた天孫の道案内をした後は、伊勢にあって椿大神社(オオカミノヤシロ)に祭られ、その後胤も代々其処に定住したとされているから、北陸に住む佐留太舅の素性は大変怪しい。しかし喚起泉達録では可成りの紙面を費やして彼の素性や子孫の状況を詳しく紹介して居るから、後世の庚申信仰で妖魔に対し強力な神通力があると信ぜられた佐留太彦の身代りとして、阿彦方の妖術者達に対抗して、物語を天皇方の勝利に導く為には適当な人物と考えて導入されたのだろう。彼は阿彦方との合戦で引き続き活躍して武勇も示すが、先祖の佐留太彦命と同様な不幸な運命を担はせられている点で、益々後世の人による作為が濃厚に感ぜられる。佐留太彦命は天孫族に帰依した国つ神系の猿面をした天狗である。道祖神として道案内の神であると共に、性神として有名である。現在でも道祖神は屡々男根を模した石を御神体として据えられ、色々な霊験がある神として佐留太彦と同一視されて居る。従って佐留太彦は特に性的霊力を持つ特殊な神と考えられて居る。此の性的信仰が阿彦物語でも特異な展開をみせて居るから、佐留太舅を阿彦伝承から排除しては物語が成り立たなくなる。此処は一応譲歩して彼の介在を承認するしかない。即ち、彼に相当する人物として、高志の地理に詳しく術策に長じた郷土出身の有力者が、婦負郡杉山(今、援田(サルタ)と云う)に住んでいたと見なせば無難である。
甲良彦の辻城では、支那夜叉から珍奇な贈り物を受けて、阿彦方との友好関係樹立を望む様になった婦女子も少なくなかったが、甲良彦が支那夜叉に奪われそうな事態になって最も困惑したのは甲良彦の正妻側の人々である。幸い大若子命側で支那夜叉引き離し作戦が審議中との情報を得て、此の作戦の為には勝手知った辻城内部で出来る限りの助力をしようと申し出たのであった。
佐留太舅としては、今迄不当に威張って居た天孫族の部将や郷將達が、自分の特技を尊重して頭を低くして懇願する事でもあり、城主になれる好機だったので、この危険で困難な大役をどうして遂行しようかと、猿知恵を働かせつゝ諾否を決しかねて居たのであるが、今や甲良彦の正妻側からの協力があり、こっそりと支那夜叉に接近する事も可能になったので、大威張りで此の役目を引き受けたのである。
古い伝承は一般に、語り継がれる毎に話し手の主観によって少しは内容が変更されるし、夫れ等が文字として書き留められる毎に、説話の内容が著者の興味や推測に従って可成り大幅に変更されるから、阿彦伝説でも佐留太舅の活躍する部分は特に著しく奇怪である。恐らく江戸時代になってから、漢学の素養があると思われる人の手によって派手に修飾されたらしい成人向きの場面が展開されて居る。従って此の伝承は庚申の夜の男衆ばかりの夜話に、睡気払い用としても珍重されて来た様である。
佐留太舅は甲良彦の正妻側の手引きによって、丁度甲良彦が城を留守にした日を見計らって、こっそりと支那夜叉の居室まで誘導された。此処は甲良彦の計らいで城兵達から遠く支那夜叉の近侍の者達とも若干距離のある立派な個室である。支那夜叉が室内に唯一人なのを確かめて、佐留太舅は室外から得意な神通力である男性的淫気を最強度に高めて彼女に浴びせ掛けた。彼女は忽ち淫蕩の気に侵されて猛烈な性の飢餓感に襲われた。
無防備な精神状態にあった健康な女体に突然出現した心身の異常から、直ちに妖術的作為による敵の攻撃と悟ったが、已に如何とも為し難く、肉体が自然に反応し、剛毛を巡らした彼女の大型の女陰は固く膨張して前庭から沸き出す淫汁にまみれ、秘孔は細かく痙攣しながら涎(ヨダレ)の様な汁を続々としたヽらせ、時々物欲しそうに膣孔の外縁を大きくよじらせながら、怪獣の唇の様にうごめいて居た。今や正座の姿勢さへ耐え難く、股間を両手で強く押さえて上向きに倒れ、せわしく鼻息をもらして切迫した性の欲望と戦うのが精一杯であった。
佐留太舅は元来同権的思想を持つ部族の指導者であったから、支那夜叉を高貴な婦人として鄭重に振舞った純情な甲良彦と異なって、誰にも遠慮する所が無く、支那夜叉とても一般の女と同様であるが、唯、彼女の美貌と強健な肉体ばかりでなく、恐らく彼女が帰化人の亡夫との結婚生活中に習得したヾろうと思はれる大陸古来の性秘技や、陶酔時の男性への反応態度に新鮮な興味を抱いたので、天孫族から依託された重要な使命遂行の為ばかりで無く、男としての性的意欲も満々で、直ちに襲い掛かり組み敷いて、彼女の豊満な股間を押し開き女陰を顕わにし、雄壮強大な自分の男根をその中に押し入れた。
長期に渡る後家生活によって萎縮して居たとは云へ、已に一児を出産した前歴のある支那夜叉の女陰は、佐留太舅の淫気に侵されて濡れそぼり、分厚く膨張した土手の内側には二枚の大型の花弁が大きく外側にめくれ返り、鋭く屹立突出し固く膨らんで半ば露出した核頭と共に、充分に受け入れ態勢を整えて待ち構えて居たので、彼の雄大な男根も差程の困難も無く一気に奥底まで完全に挿入された。待ち望んでいた場所を佐留太舅の大物で貫かれて、忽ち女の心気が充足した支那夜叉は、気張って「応」と大声を発し、暫時眉を顰め五体を震わせていたが、余りの快気に最早や耐えられず、筋骨弛軟となり遂には今までやっと持ちこたえて来た自制心も失って嬌泣するに至った。此の段に於ける漢文による描写は流石文字発祥の国だけあって、日本や西欧の性描写で見慣れた記載法と異なった目新しい文字が使用されているので、簡潔にして要を得た文章になっている。
猿太益々 浅抽深送 旁衝後触 精神大適 亀稜努張
摩抄苞肉 夜叉不覚 鼻内成声 蕩腰抬尻 痛泣一声
玉液極熱 莟苞悉開 嬌声打震 且哭且喚 如夢如死
銀瓶破裂 玉液一瀉 沛然氾濫
佐留太舅は己の神通力が充分奏功したのを知って満足し、狂乱する貴婦人の痴態を城内の者達に見せつけ、彼女の尊厳を貶めて本来の使命を達成する為に、尚も惜しみなく性気を最強にして彼女に濯ぎ掛けた。快気に溺れて騒音を発し周囲も憚らずに眉間を顰めて下品に泣き叫ぶ女に、自分の完全な勝利を確信したので、大若子命から依託された大役への使命感による緊張から解放された所へ、己を失って好々(ハオハオ)と絶叫しつヽ自分の巨根に適合した彼女の大型の女陰で、吸い込む様に陰茎が揉みしごかれるので、次第に男性的快気が昂まって来た。両肢を懸げ打ち振って歓喜する女の支那式対応も物珍しく、仕事の余得に彼女の中へ思いっきり一発発射して、自分も此の機会に人間的な快楽を得ようと、更に激しく膣腔を奥深く突きまくって彼女を凌辱し続けたのは、明らかに自信過剰による誤算だった。
一方、窮地に落ちて為すすべの無かった支那夜叉は、銀瓶が破裂して玉液が排出された為に、佐留太舅の淫気による内面攻撃が消え去り、精神面への束縛から解放されて、女鬼としての魔力を発揮出来る様になった。しかし肉体は依然彼の術に侵されたまヽだったので、彼女の意志とは無関係に動いて彼の性行動に反応し、今では女陰も厳しく男根を締め付けてわなヽき、四肢を絡めて男の身体にしがみついて居た。支那夜叉は回復した心眼で現在の事態を理解したが、肉体的快気も相変わらず強烈なので、此の状況を逆に凶器として役立てようと、人並みはずれて強健で鍛錬された肉体をたよりに、全身の力を込めて女陰で更に強く男根を食い締め、四肢で男の身動きを封ずる様に更に固く抱き付いた。同時に鬼女の妖術も実行されたので、彼女の丈余の黒髪は一群の蛇となって佐留太舅の首や顔に巻き付いて締め上げ、陰毛は多数の蛭と化して男根に吸い付いた。
かねて物陰に潜み隠れて様子を窺って居た甲良彦の正妻方の侍女や取り巻き連中が、してやったりと物見高に押し掛ける騒ぎに、すわ一大事と護衛役の強狗良も大急ぎで現場に駆けつけ、正当な軍使に不埒にも覆い被さって居る佐留太舅に打ち掛かった。しかし甲良彦によって武器類はすべて取り上げられて居たので、拳を固めて打ち据えるだけで、決定的打撃を与えられない。佐留太舅の方も交合中の無防備状態の上に、支那夜叉にがっちりと行動の自由を束縛されて全く抵抗出来ない。しかも毒蛭によって吸血され、大切な男根が食い破られて萎縮し、神通力を失い役立たずに成ってしまって居たから大変である。
支那夜叉の女陰に男根を挟み込まれて離れられなくなり、又、蛇に頸を絞められて窒息しそうになった状況を語る此の段の説話は、「古事記」に猿田彦が阿邪訶(アカザ)で釣りをしていた時、ひらぶ貝に手を挟まれて溺れ死んだ話を想起させ、殊に松阪市にある猿田彦の三柱の分神を祀って居る阿射加神社々記に云う「猿田彦の大神が貝に挟まれて溺死しそうになった時、死神をあざむいて海中で唾を三度飲み込んで甦った」話を適当に流用している様に思はれる。「喚記泉達録」で、甲良彦が支那夜叉の頭髪で顔を覆われ視力を失ったとあるは、彼女に一目惚れして盲目になった状態を指し、佐留太舅が銅矛で夜叉の股を突いて重傷を負わせたとあるのは、陰茎で女陰を貫いた事件の比喩である。即ち
「甲良彦勝ツテ突伏セシニ鉾先キ白ンデ身ニ通ラズ、甲良怒ッテ打チケルニ夜叉ガ髪風渦巻キ甲良ガ顔ヲ覆ヒ隠ス、其隙ニ夜叉起キ直リ、棒ヲ延ベテ打タントス、佐留太舅此急ナルヲ遙カニ見テ飛ブガ如クニ馳セ参リ、甲良ヲ隔テ会釈モナク突臥シケル、佐留太ガ鉾ハ名銅ナレバ何カハ是ニ堪ルベキ、夜叉ガ高股ヲ突貫ク、佐留太鉾ヲ取直シ打砕カントセシ所ニ、強狗良走リ寄リ鉾ノ柄ヲ折レヨ砕ケヨト打チケルニ、棒ニ筋セル鉄鉾ノ鍔ニ厳ク中リテ、鍔ノハズレ折レテ激越シ立山之央ナル所ヘ到ル、則チ美加保志ト後ニ成ル」
とある。美加保志については同書の中で、七月頃立山の山頂中央近くに出る大きな星で、折損した鍔から化生した星だから初めはツバ星と云ったが、後に美加保志と云うに至ったと解説して居るが、此処は鍔を猿田彦の唾伝承に懸けた言葉選び以外には、殆ど納得し難い説話部分である。
佐留太舅は渾身の力を振り絞って夜叉の抱擁と纏い突く蛇の集団から逃れ、半ば腐れ掛かって小さくなった陰茎を女陰から引き抜いて、みじめな格好のまヽ逃げ出すより方法が無かった。護身用の銅矛も毒蛭の群に食い破られ破損して役に立たないので、礫代りの唾を強狗良の眼に向けて吐き掛けながら、飛猿の早さで一目散に辻城から逃げ去った。この時飛ばした唾の一つが立山まで飛んでツバ星になったとも伝えられている。
敵中に醜態を曝し、貴婦人の面目を失った支那夜叉も、今や使命の遂行は不可能と観念して、強狗良等の付添人達と共に目立たない様に辻城を脱出し、大急ぎに阿彦の岩峅城に帰って行ってしまった。支那夜叉側から散々な目に会わされたとは云へ、兎に角、支那夜叉を引き離す策略は成功したのであるから、大若子命は大層喜んで賞讃し彼の労をねぎらった。そうして約束通り佐留太舅を郷將に取り立て、彼の住む杉山一帯を領地として与え、此処に築城して領主となる事を許して居る。彼は毒蛭に侵されて神通力は失ったけれども、念願の城主となって永住し、子孫も代々引き継いで城主となっている。此の城は猿谷城と称したが、後代になって栂尾城と呼ばれて居る。土地の名も杉山から猿谷に変わり、更に栂の尾谷と改められた。しかし天正の初期になって城を奪われ没落したと伝えられて居る。
阿彦との交渉を絶たれた甲良彦は、能登方面に多い縁戚者で、天孫族への有力な支持者達による熱心な説得によって、その後も引き続き大若子命側に止まり活躍しているが、留守中に城内を荒した佐留太舅には怨恨を抱き、以後、彼と協力して敵に当たる気にはなれなかった。
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