7:  忍法木遁の術と天狗族 
             
 天狗の本来の意味は、支那では流星であったり(史記・天官書)、山に住む狸に似た白首の獣であったりした(山海経)、然し日本では深山に住んで自由に空を飛ぶ事の出来る想像上の妖怪になって居る。其の姿や神通力は大体中世以後に出来上がったが、此の阿彦伝説も中世以後に修飾付加された部分が多い様で、多数の天狗や超能力者達の活躍を伝えて居る。差し当たり、大谷狗・強狗良は大天狗で狼兵達は烏天狗や木の葉天狗であろう。天狗の妖術で目立つのは空を飛ぶ能力と姿を消す技である。之等を現実的に解釈すると、天狗の特技の大部分は忍法五遁の術の中の木遁の術に相当するから、大天狗は木遁の術の達人である。即ち大谷狗・強狗良は達人で、狼兵達は中級と初級の忍者達の集団と見なし得る。忍法の内で火遁・水遁・金遁・土遁の術に就いては、其後の軍事にも利用され、近代の小説の中にも屡々登場して紹介されて居るので馴染みが多いが、木遁の術については参考となる文献が少なく、其の内容は殆ど知られて居ない。其の効用も五遁の中で最下位に見られ勝ちであるが、木立・森林・家屋等を自由に利用出来る木遁の術は、現在と異なって自然に多く恵まれて居た古代では非常に有効な手段であった。何れの忍法も手品の術と同様に、有効に利用出来る種が無くては実施する事は困難なのである。阿彦の乱では天狗達の活躍が顕著であるから、木遁の術に就いて可成り知らなくては、彼等の行動を正しく理解し難い。忍法には秘伝・口伝とされる門外不出の術が多いので、木遁の術を習得した現存する達人すべてが老齢化して消え去ると、此の貴重な無形文化財の知識もすべて跡形も無く日本から消滅するから、此の機会を利用して、木遁の術の手段や項目について大まかに紹介解説して見よう。
 此の忍法で最も基本となるのは木登りと走行術である。之等は何れも訓練が最も大切であるが、熟達の限度は個人の天賦の才能の多少によって大差がある。だから大天狗に成れるのは特別な天才だけである。慣用される走行法は「横走り」又は「蟹歩き」と云はれ、木遁の術者に限らず他の忍者でも屡々用いられる有効な技術である。之は例えば右へ走る為には先ず左足を右足の前から出来るだけ早く右方へ移動させ、左足が地に着くや否や右方へ出来るだけ広く早く移動し、此の動作を繰り返して走行する。左へ走るのも同じ要領である。此の走法の利点は、敵に後ろを見せないで自分の走る方向の前後を見定める事が出来るので、立木や色々な遮蔽物を利用する遁走が可能である。即ち自分の身体を隠すだけの幅のある遮蔽物ならば何でも、それを自分と敵の間に置いて、敵の姿が遮蔽物の真後ろになって見えない様にしながら横走りで逃走する。敵の姿が見える位置では敵からも自分の姿が見えるからである。      走行法が忍法全体に共通する基本であるのに対し、木登り術は木遁の術者の最も基本となる重要な技術である。木登り術は次の六種の基本的登り方に分類されて居る。          1.歩み正法……熱帯の現地人等が高く直立する椰子の幹に抱き付いて手先と足先だけで、猿の様に迅速に登る方法と同じで、幹の直径が三十糎以下の木で、手掛かりとなる枝等が無い場合に適する能率の良い木登り術である。  
 2.歩み変則……同じく幹経三十糎以下の木で、幹が直立しないで其の上方が手前に傾斜して居る場合に用いる。歩み正法では爪先で押して歩いたが、此の変則では下腿腹面を幹の向う側に当てヽ幹を手前へ引き付けつヽ体を支え、手と足を片方づつ交互に動かして上に移動する。      
  3.屈伸正法……直経二十糎以上の直立した樹木で、両手で抱きかかえる事が出来る範囲内の太さを持つ樹幹に適用する。幹を抱えた手足を交互に動かし胴を屈伸させて登る外見は、尺取り虫が匍匐前進する様子に類似している。
 4.屈伸変則……屈伸正法に適した太さの樹が向う側に傾斜して居る場合に用いる。傾斜した幹の背面に跨って屈伸正法と同じ要領で登る。  
 5.枝條登り……手懸かりとなる枝の多い木に適用される。乱雑に延びる枝の間を縫って素早く登上するには、一瞬の間に都合の良い枝を選ぶ能力を獲得する必要がある。         6.懸垂登り……腕力を鍛えると共に、片手で懸垂する場合と両手を使用する場合を合わせて訓練する。之によって両手懸垂登りと片手懸垂登りの二種類の登り方が適宜使い分けられている。              
 又、森林内等で樹上を移動するには次の六法がある。        
 1.枝渡り……立ち並ぶ樹木が互いに枝を長く差し伸べ、枝と枝とが深く交錯して居る場合に用いる。渡るべき枝が二本並んで同一方向に延びている時、其の二本の枝に片足づつ乗せて足下の枝に掛かる体重を分散し、同時に手の届く範囲にある同一方向に延びる枝を一本或は数本一緒に捕らえて、体を吊る様にして体重を上に託すと共に、体の平衡を保ちながら歩を進めて隣りの木の枝に移る。                       
 2.枝落ち……少し離れて立つ他の木に飛び移るには、渡る目的の木に向かって延びる枝上に立ち、其の上方で同方向に延びる他の枝を両手に捉えながら前進し、上下の枝が体重で共に下垂した所で、手にした上方の枝に体重の大半を担わせる。此の為に手にした上方の枝は折れるが、同時に全力で足下の枝を下後方へ蹴放し、反動を利用して目的の木に飛び移る。上方の枝が折れて落下する事から枝落ちの名がある。                   
 3.梢継ぎ……或る木の梢から隣木の梢に飛び移る法で、檜・杉・櫟・栗・赤松の様な背が高く柔軟な樹種に適する。出来るだけ高く木に登り、樹幹を固く保持したまヽ目的とする木に向かって揺り動かし、その反動を利用して隣りの木に移動する。
 4.蔓流し……或る樹の高所から少し離れた樹の高所へ、蔓又は用意の細綱を用い、綱と体を振り子の様に振り動かして移動する。藤蔓等を其の場所で切り取って利用する事もあるが、多くは用意した細綱を用いる縄術の利用である。樹上で有利な足場を求め、其処より二米余上方で枝越しに細綱を掛け渡し綱の両端を両手に保持する。此の術の道具として約三十米の縄を使用するから、施行時に半分に折り曲げられる縄の有効長は約十五米で、十米強の距離を容易に飛翔する事が出来る。                       
 5.谷渡り……渓谷等で両岸の大樹間を蔓性植物が入り乱れて繁茂し、互いに編み合わされて棚状を呈する時、其の上方にある枝を握って体の平衡を計りながら進んで、谷を対岸に渡る方法である。蔓棚が天然の橋として利用されるので、山地を移動する際に必要な時間を節約する手段として有効である。
6.分銅法……約二十米の細綱の一端に直径三糎位の鉛製分銅が付けられた道具を用いる。之も縄術の利用で、分銅を投げて枝に絡ませ、縄をたよりに地上から容易に木登りが出来、又、蔓流しの要領で樹間を移動するのにも用いられる。
 之等の諸法は主として敵から逃げる為の術であるが、忍法は敵から逃げているばかりで無く、攻撃する為の工夫も多い。攻撃は同時に最高の防禦法でもあるから、必要に応じて屡々忍者集団によって集中的に攻撃的忍法が仕掛けられる。之には各種の攻撃的罠が取り混ぜて数多く仕掛けると特に有効である。立木や森林を利用する防禦・攻撃の両用技術として次ぎの五法が慣用される。
  1.枝束ね……片足づヽ異なった枝に乗せ、同時に両手で目的方向に延びる枝を二三本束ねて持ち、之に懸垂して体重を多数の枝に分散させ、枝が細くなって弱い先端部分まで進む事の出来る技術で、崖や敵の家の塀や屋根に登って有利な態勢を得る為等に利用される。
 2.枝撓め……片手で折り曲げるには困難な程度に太い枝を、枝先の細くなった部分を捉え、梃子の原理を利用して引き付け、下方或は上方の適当な位置に手や道具を用いて保持する。敵が樹上まで追い掛け登って来た時、保持を解き、枝の弾力を利用して敵を打ち払い、其の機に乗じて攻撃し或は遁走する。枝の細い先端部を捉えるのに両手或は綱等の道具を用いれば容易であるが、熟達した忍者は片手だけで指を上手に動かす事によって、少しづヽ枝を曲げながら手先を枝の先端に移動させ、手早く細い部分に届かせて枝を撓める事が出来る。
  3.乗出し……枝束ねと同様な効果があり、枝束ねを施す條件が不充分な場合に用いられる。上方に張り出す枝を束ね持って体重を軽くさせながら、枝上で頭を枝の先に向けて仰向けに寝る。両足を枝の下で組み、片手で上方の枝を、片手で寝ている枝を掴んで体の安定を計りながら、手と足を用いて枝端に向かって前進する。充分に乗出し姿勢が完了した後、目的の場所に移動する場合もあれば、そのまヽ枝上に隠れて敵を待ち伏せる場合もある。枝上から落下しながら下を通り掛かる敵を頭上から不意に攻撃する為である。         
 4.振り込み……長く強い枝を枝撓めの要領で折り曲げ、弾力を利用して敵を払い衝撃を受けて敵が驚く隙を捉えて遁走する。主として逃走を助ける為の攻撃であるが、敵に与える心理的効果は大きい。
  5.擬態……木の枝等を身に付けて擬装し、樹上や草影に隠れて敵を待ち伏せ、不意に攻撃する陰性の擬態と、鬼面や怪獣の衣装を付けて現れ、敵を驚倒して戦意を失はしめる陽性の擬態とがある。又、人形や偽の防禦設備を作って敵の注意を夫等に集中させる囮工作も屡々使用される。之等の術策は現在でも形を変えて盛んに用いられる手段である。戦時は勿論、平時でも犯罪者達が目的を遂げる為に工夫を凝らしている。      
 之等の攻守両用の術を適宜組み合せて仕掛けると、対応策に無知な敵には多大な損害を与える事も可能である。従って一軍の將たるには、武勇の他に忍法対策の心得も必要な条件であった。遠征軍方にしても京都・奈良方面の山地、例えば鞍馬山等の天狗は有名であるから、天狗を知らなかったわけでは無いが、此の枯山城程に天狗の大集団が活躍する場所は予想も出来なかったので、状況に詳しい郷土出身の将兵達と異なって、大谷狗軍を不当に軽視したのである。

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