8.枯山城の攻略戦

   古代の日本列島は、現在の様に縦横に道路が走り、山間部迄も広範囲に農地化され宅地化されて見通しの良くなった現状とは異なり、山野の大部分は原始林の植生を保ち、至る所に巨木が聳え、倒木や蔓草の類が通行を阻んで居た筈である。従ってその様な未開拓地では木遁の術の有効性は抜群で、殊に山地での狼兵達の優位は当然である。当時の富山県呉西地区一帯は「荊波(トナミ)の里」と云はれた程、棘のある蔓草が多く混在し、道路以外の通行は困難だったから、棘のある蔓草の多生する森林と、強力な狼兵達によって守備された枯山城を攻略するのは至難の技である。
  尻込みする郷土部隊の先方を意気揚々と無配慮に前進した来援部隊は、可成り森林の奥深くに達した所で、案の定、大谷狗によって仕掛けられた陥穽に掛かって大混乱に陥った。大急ぎに後退する兵士達は、樹木に隠れて姿を見せない狼兵達による樹上や物陰からの適確な射撃を浴びて、次々に傷つき打ち取られて行った。敵から襲撃されないで一方的に攻撃出来るのが忍法の利点であるから、狼兵達も好んで武術に勝れた遠来の勇者達と対面して戦う事は望まない。しかも夫れには正確に射撃の照準を目標に合わせる余裕がある利点もある。重厚に布陣して後続していた美麻奈彦等の郷將達は大損害を受けてほうぼうの態で前線から後退して来た遠征軍部隊を受け入れて、最早それ以上の進撃を断念し、着実な防禦態勢を採りながら根拠地の小竹野まで後退した。椎摺彦等は安全な根拠地に落ち着いた敗軍を整理しながら枯山城再攻の計画を練ったが、今回の軍議では無謀な攻撃による敗戦の責任を負う援軍の部将は発言権を失って居るので、郷將の筆頭に推された美麻奈彦の提案が一致して支持された。姿も見せない敵によって大損害を蒙った援来軍は已に可成り兵数を減少し、戦力も衰えて攻撃の主力とは成り得ず、美麻奈彦の勝れた知謀と強力な保有兵力は、以前から郷將達に高く評価されていたからである。此の辺の戦場は先年、周到な計画の下に全軍を挙げて攻撃したに拘わらず、阿彦・大谷狗の連合軍に散々に打ち破られた苦い経験のある攻め難い地勢であり、其の際苦境に落ちた甲良彦軍を易々と救出した美麻奈彦の戦略に従うのが、最良の選択と見なされたのである。美麻奈彦の戦略は常に着実で冒険を好まず、正確な計算に基づく勝利に向かって確実な準備行動が先行されている。先ず周辺一帯の住民達に、充分な報酬を約束して多数の労働者が駆り集められ、同時に斧・鋸・縄等大量の工具や資材が集積された。やがて之等の多数の労働者を含む攻撃軍の大集団は、庄川を渡河し更に東方に進んで枯山城を取り囲む大森林の辺縁に到着した。美麻奈彦は新に集めた土着民の使役者達を幅広く前面の山麓に展開させて、早速樹木や蔓草の伐採に従事させた。彼等のすぐ後ろには、攻撃側の兵士の大群が、各々割当てられた持場に応じ、攻撃準備を整えて待機し、若し狼兵が伐採作業を阻止しようと姿を見せれば、直ちに一掃出来る様に多数の弓矢も配置されて居た。伐採作業は短時間の間隔で新手の労務者と交代され、一歩一歩確実に山頂に向かって開拓された範囲を拡大して行った。物資と労力が惜しみなく投入される此の作業は、風雨の天候に拘らず早朝から陽のある限り休み無く続けられた。此処の山麓から山頂の枯山城までの直線距離は約二粁に過ぎないから、伐採開拓の進行速度が毎日二十米としても、百日で山頂に達する。即ち三ヶ月余の努力で枯山城を守る山肌の片面が丸裸にされる計算で、秋頃には大谷狗も狼兵達と共に一挙に殲滅されるに相違ない。美麻奈彦は厳しく前線を巡察して、護衛の兵士達が敵影を見ない平凡な毎日に馴れ、緊張の緩む事の無い様に注意した。そうして一木を倒す事は敵に一太刀浴びせるのと同一の効果がある事を、部将達にも兵士達にも良く説き聞かせて、伐採作業に更に一層の努力を促した。開拓された広場の両側には、守備の為に布陣する兵士も手伝って、切り倒されて邪魔になる木材を利用し、頑丈な 柵が延々と打ち込まれ側面からの敵襲に備えられた。
 夏も終りになった頃には開拓工事も著しく前進進展し、山の西南斜面は広範囲に渡って禿山にされてしまった。此の様な障害物の無い場所では木遁の術も役に立たない。又、狼兵達は兵数でも武力でも攻撃軍に劣るので、流石の大谷狗も美麻奈彦の慎重な戦略には敵はない。為す所も無く出来る限り城中で頑張って居たが、敵の前線が着実に接近して、城を取巻く防禦林の幅が著しく薄くなった現状では、程なく城からの脱出さへ不可能になるので、遂に意を決し、夜陰に紛れて全軍城を捨てヽ、遠く阿彦の守る岩峅城に退却せざるを得なかった。斯くして皇軍は一兵を損ずる事も無く、比較的短期間に枯山城を占拠したが、此の勝利は全く美麻奈彦の功績で、姉倉媛による八構布の旗の御利益は見られない。八構布の幟旗が活用されるのは大若子命の総軍が勢揃いして、阿彦討伐に出撃した時より以後である。

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